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「500年の学校」 開催レポートvol.4(2025年8月〜10月)

REPORT

2024年11月に開講した500年の学校。
太陽の力強さに圧倒される夏から、いつの間にか初秋へ。健やかに伸びゆく季節から実りの秋を迎えるように、いよいよ500年の学校 第1期も卒業に向けて、自らを深くまなざす円熟のときを迎えました。

ここではvol.1〜vol.3につづき、「第10回」から「第12回」までの様子を、プログラムの内容や受講された皆さんの声を通して、日記を読むように感じていただけたらと思います。

 

 

Day10 8月3日(日) 聞こえない世界に、耳を澄ます。。

 

台風一過の晴天。
真夏の強い陽射しが降り注ぐ簗田寺では、都市部よりも蝉が力強く鳴いていました。
この日はアーティストで科学館職員の佐々木有美さんを講師にお迎えし、虫が歩く地面の振動を電気に変える装置を作り、スピーカーを通して普段は聞こえない「虫の足音をきく」という体験をしました。

この装置を作ろうと思ったきっかけなど、佐々木さんからお話を伺ったのち、早速、虫を探しに境内へ。虫が好む場所についてレクチャーを受けながら、ダンゴムシやカメムシ、ヤスデ、カブト虫など、足が多くて地を這う虫を捕まえました。

昼食後には、振動を電気に変える装置作りを行いました。身近な素材や部品で装置をつくる工程はまるで夏休みの自由研究の工作のよう。完成した装置に捕まえた虫を入れ、スピーカーに両耳をつけると、「ガサッ」「ゴソッ」「ゴゴゴゴゴ」と、小さな虫の足音が聞こえてきます。皆さん身をかがめ、嬉しそうな顔で耳をそばだてていました。

この日のダイアローグのテーマは「虫と自分のつながり」。虫は好きじゃなかったはずなのに、「うちの子の足音」という言葉が思わず口をついて出たり、容器の中で虫が弱っていないかと心配になったり。自分が捕まえてきた虫に責任とつながりを感じ、今まで抱いたことのない気持ちが芽生えたと言います。その他にも「しーんとした無音の世界なんて本当は存在しない」、「聞こえていない世界や存在にも耳を傾けて、無いものにしないことが大切だと感じた」といった意見も出ました。

 

子どものときは身近な存在だった虫たちも、大人になるにつれ、いつの間にかその間に距離ができてしまっていたようです。この世界には、好き嫌いだけでは捉えられない、私たち以外のたくさんの存在と営みがあることをあらためて実感した一日となりました。

<1日の流れ> am:今の気持ちを語る/虫を捕まえに境内を散策/昼食/pm:装置作り/虫の足音をきく・虫を観察する/ダイアローグとふりかえり

 

 

 

Day11 9月7日(日) 祖先とつながりを感じるための、かたち。

 

晴れ。残暑が厳しい。
まだまだ額から汗が流れ落ちる暑さ。旧暦ではお盆にあたる時期だそう。
この日は造形作家で、暮らしの手仕事や伝承行事について研究されている下中菜穂さんを講師にお迎えし「お盆のかたち」をテーマに一日を過ごしました。

 

まずはどんなお盆のかたちがあるのか、下中さんから全国各地の風習についてご紹介いただくと共に、受講生の皆さんに事前に調べて来てもらった、自分とゆかりがある場所のお盆の風習についてお話しいただきました。話を聞き合ってみると、山や川、海といった地理的特色によってご先祖さまをお迎えする場所が違うなど、お盆といっても決まったかたちは無く、地域や家庭によって多種多様であることが分かります。みんなの話を聞いているうちに、盆提灯が回る光景や、送り火をまたいだことなど、子どもの頃の記憶が蘇ったという方もいました。

 

昼食後は、お盆の風習を実際にやってみようと、お盆の飾りである「盆綱」を作ることに。下中さんが刈ってきたススキの葉を使って二人一組で縄を綯い、ご先祖さまが乗ってきそうな(あるいは、自分があの世から乗って帰りたい)植物を里山で探し、さまざまな願いを込めて盆綱に飾りました。

 

ダイアローグの時間では「形式化した風習には興味を持てなかったけど、自分の思いを込めて行うなら意味を感じる」、「うちにはお盆の習慣はなくて、正しいかたちを知らないとできないと思っていたけど、今日やってみて、自分なりに身近なものでやっていいと思うことができた」、「何かのきっかけや装置がないと、亡くなった人とのつながりを感じる機会が日常の中に全く無くなってしまう。そういうものはあった方がいいと思う」といった声があがりました。

 

連綿と命がつながれてきたからこそ、私たちがいる。私たちはそのつながりを思う大切さに気づいていながら、そのための方法が自分とかけ離れているため、しっかりと向き合う機会を得られずにいたのかもしれません。下中さんは穏やかな、でも真剣なまなざしで、「私たちはお盆の風習についての記憶がある最後の世代かもれない。形骸化しているかもしれないけど、形が残っている今だからこそ、まだ考えることができる」と語ってくれました。

<1日の流れ> am:今の気持ちを語る/お盆のかたちのシェア/昼食/pm:盆綱作り/ダイアローグとふりかえり

 

 

Day12 (最終回) 10月5日(日)過去・現在・未来を、刻む。

 

曇り時々晴れ。
秋を迎えた簗田寺では、ひんやりと涼しい風が木々の葉をゆらし、私たちの頬を静かに撫でました。最終日のこの日、簗田寺の住職で「500年の学校」の校長である齋藤紘良さんの発案で、1年の学びを振り返り、ご自身の「過去・現在・未来」を表す漢語を竹に刻み、何度でも見返すことのできる手作りの卒業証書をつくりました。

 

まず行ったのは坐禅と歩き坐禅。坐禅を行い、その心持ちのまま、500年の学校で過ごした1年を振り返りながら、卒業証書に刻む「過去・現在・未来」を表す文字(漢語)を考えてもらいました。あらかじめどんな文字を刻むか考えてきてもらったのですが、簗田寺で過ごす「今」や、偶然目にしたものからのインスピレーションを大切にしてもらうため、ゆったりと考える時間を設けました。

 

昼食を挟み、いよいよ卒業証書を作ります。考えた文字を、幅3㎝、長さ20㎝ほどの割竹に彫刻刀で刻みました。卒業証書は2本作り、1つは簗田寺の山に立て、もう1つはご自身で持ち帰ります。受講生の皆さんは「彫刻刀を使うのは小学生以来」と、楽しそうに作業されていました。

 

最後に完成した竹の卒業証書を手に、刻んだ言葉とそこに込めた思いを1人ずつ語りました。「500年の学校」に来る前の自分を「停滞」や「堂々巡り」と表す方や、いつの間にか染みついた思考や行動に縛られていたと語る方など、ある種の膠着状態として語る人が多かったように感じます。しかし今、この学校でのさまざまな体験や学び、仲間と心から笑い合う時間を通して、自分の中の変化を確実に感じているようです。そして多くの囚われから解放された今、「軽快」に、「童心」で、「本心」で、「ただ今」を、「一生懸命」に、「一歩」を踏み出すなど、これから軽やかに生きていこうとする意志が語られました。

 

卒業式といえば校長先生の訓示。校長の紘良さんからは、禅宗の「円相」を軸に「私、私たち」についての認識と新しい可能性についてお話いただきました。最後は卒業証書を手に、全員で記念撮影を行いました。

<1日の流れ> am:今の気持ちを語る/坐禅/歩き坐禅・刻む文字を考える/昼食/pm:竹に文字を刻んで卒業証書を作る/刻んだ文字について語る/校長の訓示

 

第10回では小さな虫たちの「見えない世界」に耳を澄ませ、第11回ではご先祖さまがいる「見えない世界」とのつながりに思いを馳せ、最終回では一年を振り返り、過去と現在からつながる「まだ見ぬ未来」を文字として刻みました。慌ただしい日常では近視眼的になりがちですが、自身がその一部として存在するような、多層的で豊かな世界を想像/創造する時間となりました。

 

2024年の秋に開講した「500年の学校」。これを以て第1期のプログラムは終了しましたが、ここからがこれから先も続いていく人生の旅のスタート地点です。500年を築く私たちの歩みも始まったばかりです。2025年11月から開講する第2期のレポートもどうぞお楽しみに。

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